昭和の時代

 さて、私は昭和生まれである。昭和の終わり世代だ。私が小学生の頃、日本はバブル経済真っ只中、デジタル液晶とか、任天堂のゲームとか、面白い漫画や、映画などに溢れていた。現代の若者から見れば、いささか乱暴で、ある程度の暴力や犯罪なども、許容するような雰囲気があり、それもまあ、とにかく日本が豊かになるため、となりふり構わない貪欲さがあり、またそれが良しとされた時代だった。政治家も、消して清廉潔白とは言えなかったが、しかしそれなりに大物もいたし、まあ何というか、激動であり、かつ明るい雰囲気があった。今がダメでも、将来はもっと良くなるはず!だって皆こんだけ頑張っているんだから! という時代である。企業戦士とか、

「24時間働けますか?」

なんていうキャッチフレーズが飛び交い、「過労死」なんていう現象もあった。だが、個人差はあるにせよ、実際当時の男たちは、自分の個人的な幸せより、文字通り日本の発展のために過労死上等!と働いていたのだし、また過去の日本の歴史~貧しいがゆえに欧米列強からの理不尽な要求に屈っさざるを得ず、結果的に判断を間違えて第二次世界大戦に突入した苦い経験~を繰り返さないためにも、日本が経済的に豊かになる事を皆で目指したのである。

そして実際、日本は経済発展したお陰で、およそ戦後80年間、どことも戦争せずに済んだのだ。


この事実を省みると、やはり戦後の復興から日本を経済大国にまでのしあげた当時の人たちは偉いと思うし、何だかんだ感謝しかない。もちろん、セクハラは当たり前とか、女はオフィスの飾り物扱いとか、現代日本人から見れば、「それはどうなのよ?」と思う事も沢山あったのだが、それら全てを含めて、面白い時代だったし、その様な多様な現象で社会が満ちている、というのは実は凄く幸せな事だったのではないかと思う。

ちょっと前の中国とか、現在の東南アジアが、恐らくかつての日本の様な賑わいを味わっている筈である。もちろん、すでにその様な経験が過ぎてしまった日本は、「必ずしも、経済だけが全てではない」という境地に落ち着き、それ以外の幸福というものを模索しているわけだが、しかし、複雑な国際情勢の中で、国民が安心して暮らしていくためには、やはりそれなりの経済力は必要である。日本には資源がないし、また隣国たちはすぐに不穏な動きを見せる輩がそろっている。

今の若者達が、個人の勝手だ!と言って好き勝手できるのも、先人達の血と汗の努力の結果であることを忘れてはならないと思う。

まあ、私個人は別に大したことしてないんだけどね!😆

女の本音

 昔の女性に多いのだが、亭主関白な夫を持っていて

「私はこの人だけですから」

とか言っている奥さんは、実は心の底では夫が大嫌いである。😆

昔は(今も)女性が一人で稼いでやっていく事は難しく、また、成人したら結婚して子供を持つことが人として当たり前、という価値観が世間の常識だったので、まあとりあえず頼りになりそうな男性と結婚したのだが、頼りがいのある男性は自分の力を誇示したがるので、亭主関白になりやすいのである。それでも子供ができれば母親としては子供が可愛いので、子供への愛のために大抵の事は我慢できるし、むしろ全力で自分の愛を子供に投入するのだが、それは夫が嫌いな事を埋め合わせるためでもある。

「私はこの人だけですから」

というセリフは、自分へ言い聞かせているのだ。もちろん、彼女たちの子供への愛は嘘ではないし、それで十分だとは思うのだが、だからといって、夫が好きなわけではないのである。最も、その様な結婚は、大抵の場合お見合い結婚であり、始めからある種の打算でお互いに了解しているから、無事に子供が育てられればそれで良い、とお互いに思っているわけで、それなりの納得はしているだろう。

だが、その様な女性が姑という立場になる時、難しい事態が起きることもある。恋愛至上主義の現代女性が嫁に来た場合、余りにも価値観が違うし、また、自由奔放な若い女性に対する嫉妬心がわくこともあるからだ。

どういう形の人間模様になるかは、それぞれの人間性によるのだが、まあ真理は時代によって変わっていくものだから、若い人に自分の価値観を押し付けても意味はないだろう。


人間とは何か? 稼ぐ人は…😩

稼ぐ人は 基本的には人間ではない。ロボットである。ひたすら仕事して、儲けてもふーん、儲かったか、損をして目うーん、ちょっと不味かったか、この程度の喜怒哀楽しかない。まあ、長年仕事をし続け、利益を追及すればそうなる。で、普通は皆そんな生活嫌なので、あまり真面目に仕事はしないから、稼げない。稼げないのが普通なのだ。


だが、貨幣経済で成り立っている社会では、稼げないと結婚できないし、子孫も残せない。それどころか、普通の生活すらままならない。だから何とか仕事をするわけだが、そもそも人間の本質は動物なので、本能とは合わないのである。それに、動物的本能だけでは、人間社会は成り立たない。他社への気づかいや、障がい者など弱者への思いやりがなければ、弱肉強食の阿鼻叫喚となる。

とはいえ、誰だって弱者としてうちひしがれたくはないから、強くなろうと努力するわけだが、このキャパシティも、実は遺伝子で決まっている。

だから、優秀な遺伝子を受け継いだ結果として強い人間が目指すべきは弱者救済なのだが、自分の強さに酔いしれて傲慢になるケースも多い。最も、最高度に強い、それこそ仏陀の様な人はむしろ謙虚だが、そんな人は少ないし、またその様な人が生きる道は中々残されていない。仮に出家したとしても、日本仏教界は派閥やら、権威主義やらがはびこる、むしろ世俗より俗悪な魑魅魍魎の世界である。

ではどうすれば良いのか? 
実はハートが開くと、その様な事はどうでも良くなるのだが、ハートは、修行では開かない。愛は修行で手に入る物ではないのだ。今生きていることに感謝する事、今まで出会った全ての人に感謝する事、子供や動物に愛を持って接することでしか開かない。出会った人の中には、自分を虐げた人もいるだろう。その人は自分の成長にとって、必要だから出会ったのである。

例えば、ブラック企業でこき使われたとしよう。当然あなたはその会社の経営者を憎むだろう。だが、一歩引いて考えてほしい。その経営者は何故その様な扱いを従業員にするのだろうか? 経営者としての能力が低く、また人格者でもないからである。この二つは結果的に連動している。そして、その人からの学びとは、その様な人からは離れなさいという事、短絡的にお金のために、その様な経営者の言いなりになってはいけないという事、従業員を人間として尊重できない様な会社はむしろ皆が離職して崩壊した方が世の中にとっては良い事、あなたはその様な人間になってはいけないこと、を教えてくれたのである。

あなたはその人を憎むのは当たり前だが、気が済んだら、速やかに離れる事である。色々学ばせて頂きました、ありがとう😉👍️🎶と感謝を込めて。そして、あなたはその傷を埋めるために、他人へ彼と同じことをしてはならない。


石川県沖地震で避難しましたよ

 皆様、少し遅くなりましたが新年明けましておめでとうございます! いやー、しかしですね。新年早々石川県沖でマグニチュード7クラスの地震が発生して、私は新潟県に住んでますから、ここもかなり揺れました。震度5の揺れで、我が家の玄関の壁面タイルが剥がれ落ちました。今回ばかりは、我が家も...